昭和五十七年八月十一日 朝の御理解
御理解第七十八節 「神の機感にかのうた氏子が少ない。身代と人間と達者とがそろうて三代続いたら家柄人筋となって、これが神の機感にかのうたのじゃ。神の機感にかなわぬと、身代もあり力もあるが、まめにない。まめで賢うても身代をみたすことがあり、また大切な者が死んで、身代を残して子孫をきらしてします。神のおかげを知らぬから、互い違いになってくる。信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受けることができるぞ。」
栄枯盛衰は世のならいというような、も、それがそうだと観念してしまってます、ね。そういうイメージをアップしていく事の出来る教えが金光大神の教えだと思いますね。最後にありますように、無事健康で子孫も続き一年勝り代勝りのおかげが出来ると、こうおっしゃっておられます、ね。普通一般では、いわゆる栄枯盛衰は、もう世の習いだと、いうふうに、もう思い込んでおります。観念してしまっております、ね。そこを私共が、金光大神の信心を頂く事によって、ね。親の代よりも子の代というように発展していく、代勝りのおかげが受けられる。あの信心を頂いておるのですから、ね。その例えば、この御教えが、を、実証していかなきゃいけません。ところがなら、お道の信心を頂いておってもやはり、栄枯盛衰は世の習いにの言葉通りになっておるという事実がございます。そうすると金光大神は、嘘をおっしゃっておったようになります、ね。だから金光大神が嘘をおっしゃってないんだと、教えが本当だという事を私共が、その証だてをしていけれるだけの信心、ま、言うならば信心の実力を、ね。身につけていきたいと思います。
昨夜、お月次祭が終わった後でテレビを見せて頂いとりましたら、広島、長崎の原爆の時の模様を、も、それこそあんな、何と、も、言いようがない、も、惨憺たる、その情景を、ま、映し出しておりました。本当にこれが地獄図を見るような思いです。また、その後の後遺症も、も、本当に二目と見られないような様子やら、また苦しみ、そして亡くなっていかれる模様などをテレビで見せてもらいましたが最後に、皆さんどう思われますかという字が出て参りました。皆さんこれに、どう答えますかでしたかね。これに答えようがないですよね。それは勿論、こういう戦争をしない、もう二度とこういう事を人間の世界に起こしてはならないと思うと思いますけれども。それはなら、人間がいくら思ったところで実現する事はないし、も、どうにもしようがない。どう皆さん答えるかとも、絶対あの原爆かなんかの事を禁止するより他にないという、ま、答えしか出てこんわけですけれども、ね。いや本当に、それに答えれるものがあるだろうか、答えられない、ね。ただ私が、ま、それを答えようがないけれども、ね。結局、神様の御都合と頂くより他にないのだ、ね。そしてまあ、ここ二、三日頂いとりますように、ね。力の論理から、いわゆる神の論理に、人間世界が塗り替えられていく。そういう運動、ね。和賀心時代を世界にというような運動を、ね。起こさせて頂く以外にない。これが力が力をもってしておるなら、それこそ栄枯盛衰は世のならいで、ね。言うなら世界の繁栄とも繁昌ともならない。これは一新一家の事においても同じ事が言えると思うです。私共のい行く手の、にもです。もう、言いようがない答えようがないような事がございます、ね。目の前が真っ暗になるような事がございます。どうしてこんなに右と願えば左、左と願えば右というような事になっていくのだろうかという事もございます、ね。ですから、ね。本当に神様の御都合に間違いないと信じれれる信心であります。そこにもう、答えを出さなくてもいいと思うです。また答えは、出せないと思うです。神様のお心が深い、そこがわかる事は出来ないと思うです、ね。神様の御都合に違いない、ならその御都合は、より素晴らしい世界、より素晴らしいおかげの世界に、を開いて下さろうとする御神意または、御神愛より他にないのだと信じれる信心を、ね。いよいよ身につけていかなければなりません、ね。それには私共が日々、ね。言うならば神の論理に基づく行き方を、ね。本気でさせて頂くと、日々、実験がしていくところから実証が生まれてくる。その実証を積みあげていくうちに、ね。一切が神様の御都合だと、答えられない事ばっかり。実を言うとどうしてじゃろうかと思う事もあるけれども、ね。いわゆる御理念による行き方を身につけていっとりますと、そこに、ね。例えば昨日、一昨日でしたか、ここの黄楊会の方達が十四、五名位でした。壱岐の方へ一泊旅行をいたしました。信心実習です。帰って来て中原修行生が申しておりましたが、もう一分一秒間違いのない働きの中におかげを頂いて帰って来た。とこう言う、も、本当に薫ようなおかげの中に、ま、二日間過ごす事が出来たというお届けをいたしました。私共の、ね。それこそ薫ようなおかげ、一分一秒間違いのない神様の働きを受けに受けていっておる。その中になら、様々なそれを答えよと言うても答えられない事もあるけれども、そういうおかげを頂いておて、このように間違いのない働きを下さる神様だから。神様の御都合に間違いのないと信ずる力が出来てくる、ね。神の大恩を知らぬから互い違いになる。神の大恩を知れば無事健康で子孫も続きと、今日の御理解にありますでしょ、ね。神様の心がいよいよ、ね。日々それがわかっていくおかげ、お繰り合わせ、ね。も、それを私共は、いわゆる、ま、神の実感という事になりましょうか、ね。神様の働きを実感していく日々、それには、ね。私共がいよいよ、ね。神の論理に基づた行き方をさせてもらわなければならあに事になりますね。そこから私は、間違いのない金光大神が教えられた教えが、まさに、ね。栄枯盛衰は世のならいと一般では言うけれども、金光様の御信心を頂いておれば、ね。そういうイメージアップが出来て、ね。いよいよ子孫繁昌代勝りのおかげが受けられると、こう信じれれる。そういう確信のもてれる信心を残しておきたいと思うですね。どうしてですか、と。それはこう、と言うて、ま、浅い私共の詮索でですね、答えを出しては、なりません。わかりません。けれども神様の御都合に違いはありません。それはおかげを下さろうとする神様の御都合以外にはないと確信出来れる信心を、私は、安心の信心だと思うですね。どうしてこういう事が、どうしてという間は、おかげにならん。こうして神様がいよいよ本当な事をわからして下さるんだ、力を下さるんだという頂き方をいよいよ身につけていかなきゃならんと思うですね。 どうぞ